雇用の変化 2009 1 17

 雇用問題を考える上で、会社の組織の変化を取り上げましょう。
昔の庶務係は、組織的に大きかったのです。
 社員が出張するとなると、庶務係の係員は、
時刻表を片手に、電卓で出張費用を計算したものでした。
 給料日が近づいてくると、さあ大変です。
昔は、給料袋というものがありましたので、
社員の給料を現金で支払っていました。
だから、給料日には、庶務係が銀行員のようにも見えました。
 有給休暇や残業手当の管理も、庶務係です。
社員が有給休暇を申請したり、残業をした場合、
社員は紙の台帳に記入していましたので、
庶務係は、それを管理していたのです。
福利厚生も、申請書や台帳があり、紙の書類で、やり取りしていたのです。
 雑用も数多く存在しました。
会議室の管理、社用車の管理など、紙の台帳で管理していましたので、
意外に労力を必要としました。
 そういうわけで、庶務的な仕事が多岐にわたり、
労力が数多く必要とされ、庶務係が組織的に大きかったのです。
 さて、現在、そういう庶務的な仕事は、どうなったか。
出張は、旅費ソフトウェアが自動的に計算してくれます。
給料は、口座振り込み。
有給休暇や残業は、電子申請システムになりました。
福利厚生も、電子申請システムを利用します。
会議室も社用車も、コンピューターが管理し、
使用する場合は、やはり電子申請システムを使います。
 そういうわけで、社員の机の上にあるパソコンで、
庶務的な仕事は、片付いてしまう時代になったのです。
昔は、多くの人員を必要とした庶務の仕事が、
机の上にあるパソコンで片付くようになってきたのです。
 極端なことを言えば、
会社で文科系の仕事は、営業職ぐらいになったのです。
だから、理科系の募集しかない会社もあります。
 それなのに、最近の子供は、
理数嫌い、つまり理科や数学が嫌いな子供が増えたと聞きます。
まるで、将来の潜在的な失業者増加を暗示しているような事態です。
 ここでは、庶務の仕事を取り上げましたが、
実は、事務的な仕事は、コンピューターがやるようになってきたのです。
だから、文科系の仕事は、どんどんコンピューターに奪われていくでしょう。
 残された文科系の仕事は、営業職か、
あるいは介護職といった福祉の仕事ぐらいかもしれません。
後は、製造業の派遣労働者ということなります。
 しかし、製造業の派遣労働者は、
中国の工場労働者と同じ労働となりますので、
中国人と競うことになり、労働条件は厳しいと言えるでしょう。

畑を耕せ、森へ帰れ 2009 1 12
書名 世界金融恐慌序曲
著者 大竹 愼一  ビジネス社
 この本は、タイトルとは大きく違って、
終章では、「畑を耕せ、森へ帰れ 日本再生への一歩」で終わるのです。
 畑を捨て、森を捨て、工業を選んでも、工業は冷たい。
景気が悪くなれば、仕事がなくなる。
 しかし、それが、工業の宿命。
畑を捨て、森を捨て、工業で働くならば、
いつも景気変動に怯えていなければならない。
 昨年だったでしょうか。
テレビで、信州の野辺山の高原野菜は、
中国人研修生という労働力がなければ成り立たないというニュースを見て、
驚きました。
私が大学生の頃は、それは、人気のアルバイトだったからです。
朝は早いかもしれませんが、高原で働いて、夏は涼しく、
三食付で、当時は月10万円だったと思います。
 どうして、今の若者は農業を嫌うのか。
畑を捨て、森を捨て、都会へ出ても、
今の都会は、頭脳労働が主流です。
優秀な頭脳がなければ、あるいは特技がなければ、
単純労働しかないのです。
 そして、工業は冷たい。
景気がいい時は、温かく見えても、それは表の顔。
工業で働くならば、
いつも景気変動に怯えていなければならない。
 昔も、そうだったのです。
景気がよければ、農村に、「出稼ぎ」という期間労働者の仕事がやってきましたが、
景気が悪くなれば、「あれは夢幻だったのか」と思うほど、「出稼ぎ」の仕事は消え、
また畑を耕す。
そして、また景気がよくなれば、「出稼ぎ」という仕事がやってきて・・・・・。
畑を捨て、森を捨て、工業を選んでも、工業は冷たい。




















































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